日々とんとん

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毒親との話 【番外編①ー毒親育ちの世界観】

 

今日は毒親との話、番外編。

興味のある方はこちらから過去のブログをどうぞ↓

毒親との話①

毒親との話②

毒親との話③

 

現在進行形で毒親問題に悩んでいる。

今思えば、もともと私は両親とかなりの共依存だった。

今まで自分が生きてきた世界をおかしいと思わなかったし、親の考えが正解だと思っていた。

 

だから私は親がいないと何も分からない子だった。

例えを言うと、

・自分で服装を選べない

(親からお前はセンスが悪いと言われており、買う服は選んでもらっていた。欲しい服があっても、似合わないと言われることがあり、自分だけの判断で服を購入したことがほとんどない。実家を離れた今も、買うときは誰かに選んでもらっている。)

 

・どこかに遊びに行ったときは必ずお土産を買っていた

(私が出掛けたり旅行をすると、親から羨ましがられた。私だけが遊びに行くことは家族に対していけないこと、申し訳ないことだと思った。電車1本で行けるようなところに遊びに行ってもお土産を買っており、思い返すと当時の友達にかなり不思議がられていた。)

 

まあ、こんなことは些細なことである。

その他というべきか、とにかく何事に対しても親に意見を聞かないと行動ができなかった。

自分の考えだけで行動したこともある。

しかし、それはそれで親に事後報告しなくてはいけない気持ちになるのだ。

案の定、私は親に話す。

どうやら親とは意見が違うようで怒られる。

とりあえず、何かあるときは親に相談して、意見を聞くのが一番(親の回答が正解だと思っており、それを私は他人にも求めることがあった)。

 

 

ちょっとまって!

これって...おかしくない......?

 

こう気づいたのが数年前である。

気づいた切っ掛けは、のちのちシリーズでお話しするとして、そこから私は毒親について調べ始めた。

毒親共依存アダルトチルドレン

チェックリストやホームページを探る。

見事にあてはまった。

うちは、支配型・過干渉型の毒親だ。

もしかしたら搾取子(金銭面ではなくメンタル系)も当てはまるかも。

 

親と私のバトルが始まった。

共依存だということは分かっていたけれど、喧嘩をする度に、やっぱり私が悪いのかもしれないと思うようになった。

親に対して何をいうんだ、バカにしてるのか、育ててやっただろと言われる度に、私は親不孝者なのかと思うようになった。

その度に罪悪感を感じ、謝罪と弁明をした。

何回か分かりあえた。

でも、結局はダメだった。

こんな言動や行動をした私が悪いのかと何度も思った。

 

 

その頃、私は友人や知人にも親のことを話していた。

反応はみんな同じ。

 

え、それはご両親がおかしくない?

 

それと同時に、私が言ってることをいまいち信じきれないと。

 

 

私が生きてきた世界は普通だと思っていた。

むしろ、他の家庭がずれていると本気で思っていた(両親は知人や親戚など他の家庭の行動も、自分たちの考えと違うと「おかしい」と子供である私に教えていた)。

 

 

毒親に育てられると、親に関するちょっとしたことでも悩み、苦しんでしまう。

これはきっと私だけではないはずだ。

多分、この記事を読んでいる毒親育ちの方もこのような経験があるのではないだろうか。

ただ、この悩み、苦しみ、過去の出来事、これが他の人になかなか理解してもらえない。

 

現に私は住民票の閲覧制限をするために警察に相談したことがある。

結果的に言うと、取り合ってもらえなかった。

「親御さんも心配してるんだよ」

「たまには連絡してあげなよ」

「あなたも子どもができたら分かるよ」

この言葉を誰かに言われたことがあるのも私だけではないはず。

 

何て言えば良いのか分からないが、

そういう問題じゃない。

 

毒親育ちが生きている世界、きっとこれは当事者同士(もしくは専門的なカウンセラー等)にしか分からないのではないだろうか。

 

母の日、父の日は感謝の気持ちを、お盆と正月は帰省しましょうと言われる世界。

このイベントが近づくたびに憂鬱になる。

両親に感謝を示したり、帰省をしたら、喜んでもらえるような世界が私には全く分からない。

 

子供が連絡をしなくても、帰らなくても、それでも毒親は自分達が悪いと一切思わないのだ。

子供の心配もしないし、ふいに連絡や帰省をしても喜ばないのだ。

むしろ自分達は見捨てられた、あの子は裏切り者だと思うのだ。

 

実際この記事も嘘のようなことだと思う方もいるだろうし、それでも親は大切にしないといけないと思う方もいるだろう。

 

でもきっとこの世界が分かってくれる方もいるはず。

その方たちに、あなたは1人じゃない、同じように考えている人がここにもいると思ってもらえたら嬉しい。

 

何だか乱文、長文になってしまった。

最後まで読んでくださった方、ありがとう。

 

 

刺激的な体験

 

実家を出て、仕事を辞めて、毎日が刺激的。

生きていくってこんな感じでいいんだって思える。

私は普段一体何を悩んでいるんだろうって。

もちろん、人それぞれ、家庭それぞれに悩みがあるのだろうけど、みんな支え合いながら頑張っているんだなって思う。

 

今日はとても良い経験ができた。

それと同時に今までの私にはそういう経験が足りなかったんだなと知った。

まだ遅くないはず。

落ち込むときもあるけれど、疲れるときもあるけれど、でも、楽しいからこれでいい。

 

人生、きっとこんな感じでいいんだな。

 

 

悩み、悩んで、悩みまくる

 

親との関係、これからどうしていったらいいのだろうか。

 

もう関わりたくない。

でも、大切な人を守るためには頑張るしかない。

 

でも頑張ることに疲れた。

親の顔色をうかがうこと、親から何か言われること、親と言い合いになること、少しの望みをかけて関係を修復しようとすること。

もう疲れた。

そういう覚悟を持って家を出た。

一般的な感覚を取り戻してきた。

 

普通の親なら、子どもがしばらく連絡をしない、帰らない時点で心配するのかな。

うちの場合は、私が連絡をしない、帰らないことで、見捨てられた、縁を切られたと思うようだ。

 

もう帰りたくない。

でも、また頑張るしかないのかな。

 

悪夢にうなされて

 

結局、昨日ブログを書いてからすぐに眠れたけど.....嫌な夢を見た。

 

7時くらいに一回起きて二度寝

で、また悪夢にうなされる。

夢の中でもこれが夢だと分かっていて、起きようって思って起きたけど、実はまだ夢の中で(夢の中で寝起きしていた)、何で起きたのに嫌なことがおきるのよって思った。

 

最終的に現実で起きたら正午。

眠りすぎ&夢の中で戦っていたからか、身体がバッキバキ。

重いし、だるいし、何とかトイレと食事を済ませた。

買い物に行く予定だったけど、この状態で外に出たら何だか倒れそうなので、昨日に引き続き今日も引きこもることに。

 

あまり良くない傾向だな~って思いつつ、とりあえずゆっくりしてみる。

 

今日も寝付けないのです

 

眠れない。

原因は明確。

布団に入って目を瞑ると色々考えてしまう。

親との関係性、今後のことなど。

あらぬことも考えてしまい、そこから悪い方へ想像が膨らむ。

これではダメだと目を見開く。

さっきからこの繰り返し。

 

無理に寝ようとしなくてもいいかな。

寝ようと思うから眠れないのかな。

 

でも身体は、いや、身体も心も何だか疲れている。

 

毎日夢を見る私。

楽しい夢を見たい。

 

毒親との話③ 友達作りに苦労

 

今日はまた毒親との話を書く。

 

今までの記事はこちらからどうぞ↓

毒親との話①

毒親との話②

 

②の話に並行して、時は小学生頃。

私は友達が少なかった。

前回、書いたように、他人に何を話していいのか、どこまで本音を言っていいのか分からず、ある程度の友達はいるけれど、上辺の付き合い。

これに関しては数年前までそうだった。

高校生になっても、社会人になっても、腹を割って話せる存在がいない。

周りから見たら付き合いが悪く、つまらない女だろう。

家を出てからはかなり改善し、今は本来の自分を出せるようになってきている。

前に比べると、遊びの誘いを受けることも多くなった。

本当に嬉しい。

 

 

話がずれてしまったが、極端に言えば、子供の頃、親が私の友達を選んでいた。

小学生の子供に、

「○○ちゃんと仲良くしなさい。」と。

 

私も社会人になり、世間を知って、色々な人を見ている今、ある程度は「子供に仲良くしてほしい子(仲良くしてほしくない子)」があるのは何となく分かる。

しかし、うちの場合、それを子供に直接言うのだ。

「○○ちゃんの両親は~~の仕事をしているから仲良くしなさい」

「この前、遊びに来た○○ちゃんは身なりが汚ならしいから仲良くしないでほしい」

 

今、自分で書いていて寒気がする。

 

あともうひとつ。

親は私の同級生の家を探したり、見に行く癖があった。

何のためかは全くわからない。

親の職場の人の家も、どの辺りなのか探っていた。

 

ある時、私はクラスメイトに「○○ちゃんのお家って☆☆の辺りなんでしょ!?」と得意気に聞いたことがあった。

もちろん情報源は親。

クラスメイトはかなり驚いて「何で知ってるの!?」と。

当たり前の反応である。

今思えば異常だった。

 

両親は世間体を気にして外面が良いタイプ。

それと同時に近所の目にも敏感だった。

隣の家の人がうちのこと見てる、覗いてるなんて言われることも結構あった。

 

両親を信じきっていた、そんな小学生時代。