毒親との話① ただ甘えたかった
今の私の根底には何があるのか。
どのようにして今の私が作り上げられたのか。
私の親は毒親です。
何回かに分けてシリーズで書きたいと思います。
~幼少期①~ 良い子だった私
いつも親から期待されていた私は優等生。
保育園の先生に怒られた記憶がない。
周りからみたら大人しくて良い子。
習い事もたくさんやって賞をとる子。
でも私は自分から○○が習いたいって言った記憶がない。
親は未だに「私が言い出した」から、たくさんの習い事を「させてあげた」って言うけれどそれは違う。
親が習わせたかったことを子どもの私に「習わないとおかしい」「お友だちの○○ちゃんもやってるから仲間外れだ」と言ってきた。
子どもの私は焦ってしまい、習いたいと言った。
今でもはっきりと覚えている。
習い事をはじめてからも厳しかった。
私に大会や発表会で失敗をしてほしくないのだ。
私が失敗すると何故か親が恥ずかしいからである。
まるで投影。
私が成功すると親が褒められたような気分になり、私が失敗すると他の保護者には関わらないようにして帰る。
「お疲れさま」も「頑張ったね」もない。
それどころか、もっと練習するべきと言われる。
おかげで私は優等生。
~幼少期②~ 悪い子だった私
家では悪い子だった。
もちろん子どもがいけないことをしたら怒るから仕方ない部分もあると思うが、反対に抱きしめられた記憶、安心した記憶、甘えた記憶が全くない。
いつも親の顔色を窺い、怯えていた記憶。
叩かれて、抓られて、家を出されて。
謝れと言われるが、謝られたことはない。
その頃、仲が良かった友だちの家に遊びに行くことがあった。
友だちの母親が一緒におままごとをしてくれて、とても驚いたことを今でも覚えている。
私の親は私が好きな遊びを一緒にしてくれなかった。
もちろん、おもちゃは買ってくれた。
習い事と一緒で、未だに「たくさんおもちゃも買ってあげたでしょ?」と言われる。
子どもが大人になって喧嘩をしたときに、習い事をさせてあげた、昔おもちゃを買ってあげたという言葉は他の家庭でも言われるのだろうか。
「昔あなたにはお金をたくさん使ってあげた」のような意味で後から言われるのなら、別に習い事なんてしなくて良かったし、おもちゃも買ってもらわなくても良かった。
それよりも子どもの頃の私は、ただ抱きしめられて、安心して、甘えたかったのだ。